みなさんこんばんは、岡本せいしです。
もう梅雨、入りましたね。
この予報がコロコロ変わる感じ、梅雨ですねー。
逆に早く梅雨明け迎えて、仁義なき戦いが行われる7月上旬は晴れたら最高ですよね!
(何の話や)
…では、本題に。
まず私の考えとして最初に申し上げます。
基本的に、政治というものは誰からも賛成されるような政策はほとんどないし、必ずしもこれが正しい。という正解もない。
だからそれぞれの政治家が、みんなが暮らしやすくなると思えるような政策を考え、意見を出し合いながらより正しい道を探していく必要があるんだと思っています。
故に時として批判にさらされることがあったとしても、しっかりと信念をもって突き進まなければならない、と。
いきなり何を言っているんだこいつ。
そう思ったみなさん、すみません。
今回のこの新斎苑(しんさいえん)建設に至るまでの流れで、上述したことを感じたので、私の想いを最初に述べさせていただきました。
そもそも斎苑ってなんなん。
そう思われる方もおられると思います。
火葬場ともいわれますが、亡くなられた方を火葬し、遺骨にする施設です。
普段生きていく中で積極的に触れる機会はほぼないかと思いますので、知らない方も多いと思います。
しかしながら、現代の社会においては亡くなられた方はほとんどが火葬されて、供養されることになりますので、ほぼ間違いなくすべての方が利用することになるであろう施設です。
この施設、基本的に各市町村が持ってるんですけど、奈良市の施設って想像以上に古いんです。
実は大正時代に建てられたものを未だに使っているので、稼働してから100年を超えています。
もちろん老朽化もすごいし、もっともっと市の人口が少ない時に建てられたものなので容量も少ない。
なので、奈良市民の方が亡くなられても3人に1人は利用できない状況が続いています。
利用できないとどうなるのか。
隣接する他市の斎苑を利用することになりますが、利用金額が非常に高くなります。
斎苑は市民のものなので、奈良市民は奈良市の斎苑は1万円で利用できますが、生駒市の斎苑を利用すると市民ではないので8万円かかります。
ちなみに、我が家では祖母と次男が亡くなった際、奈良市の斎苑は利用できず、生駒市の斎苑を使わせて頂きました。
これでは奈良市民の負担が増えてしまい、何のために斎苑を保持しているのか分からない!
ということで建て替えの要望が市民から出されておりました。
(そりゃあそうですよね。)
ちなみに、要望が出されたのは半世紀以上前です。
(なんですと!?)
そうなんです。
この新斎苑に関しては、半世紀以上も昔から要望が出されていたにもかかわらず、課題が放置され続けていたという現実があるんです。
ではなぜ、新斎苑の建て替えは放置されてきたのでしょうか。
みんな新斎苑を建てて欲しいと要望してるのに。
それは、新しく建てては欲しいけど誰も自分の住んでいる地域には建てて欲しくなかったからなんです。
移転計画が持ち上がるたびにその地域住民の方々から反対の声が上がって頓挫する。
それを繰り返し続けてきた結果、このように新しい斎苑が出来るまで半世紀以上の年月がかかってしまったわけです。
もちろん、政治家は当選しなければ政治家でいられませんので、批判の声には敏感になってしまいます。
(議員でない私ですら、批判にはダメージ受けます。)
ですが、だからといって批判をおそれて活動を制限してしまえば、それはひいては市民の不利益につながってしまいます。
批判を浴びても自身の信念を貫いて正しいことをやりぬく覚悟が、政治家には必要だと思います。
だからこそ、こうやって建設が始まって今のところ来年度には運用が開始される状態まで計画が進んでいることは、非常に喜ばしいことであります。
ではなぜ、この新斎苑建設がニュースなどにも取り沙汰(悪い意味で)されるような事態になっているのか。
その点は、また次の機会に書かせて頂きます。
(今回も長すぎた…。反省。)
本日もありがとうございました。
それでは、また。
岡本せいし
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